皆さん、遥くららさんという名前を聞いたことありますか? 1980年代に宝塚歌劇団で大活躍したトップ娘役で、正直私も若い頃の美しさにはずっと憧れていました。
最近SNSでも「遥くららの若い頃って本当に美人だったよね」という声をよく見かけますが、実は彼女の宝塚時代って本当にドラマチックなんです。なんと最初は男役として入団して、その後娘役に転向したという珍しい経歴の持ち主なんですよ。
今回は、そんな遥くららさんの若い頃について詳しく調べてみました。男役時代のエピソードから、歌が苦手だったという意外な一面、そして娘役転向後の大活躍まで、ファンとしてずっと気になっていたことをまとめてお伝えしますね。
遥くららの若い頃の美貌と男役から娘役への転向
男役としてのスタートと異例の経歴
遥くららさんは1972年に宝塚音楽学校へ入学し、1974年に第60期生として宝塚歌劇団に入団しました。入団当初は男役でした。実は、入団時の成績は40人中37位だったそうで、決して上位ではなかったんですね。
私も宝塚ファンとして色々な方の経歴を見てきましたが、男役から娘役に転向してトップまで上り詰めるというのは本当に稀なケースです。同期生で剣幸さんによると、当時の遥くららさんは剣さんより4センチくらい背が高く、小柄な方もいた時代だったとのこと。
1977年の「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラ役に抜擢され、この作品を最後に娘役に転向しました。この大抜擢は本当に衝撃的だったようで、内部でも波乱があったみたいですね。でも結果的に、この転向が彼女の運命を大きく変えたんです。
遥くららさんは最初男役として入団し、後に娘役に転向した異例の経歴の持ち主。この転向が彼女の大成功につながりました。
若い頃の美貌と外部ドラマ出演
遥くららさんの若い頃の美しさって、本当に格別だったんですよね。1975年にはTBSのポーラテレビ小説「加奈子」の主役に抜擢され、現役の歌劇団生徒ながらも外部のドラマ出演を多くこなしました。当時、宝塚生がドラマの主役をやるなんて本当に珍しいことでした。
私が特に印象的だったのは、「くらら、マルアイ!」のセリフで知られるマルアイのCMです。あの上品で美しい佇まいは、本当に印象的でしたよね。身長166cmという恵まれたスタイルも、当時としてはかなり目立つ美貌だったと思います。
若い頃の遥くららさんの美しさは、まさに宝塚の象徴のような存在でした。テレビドラマでもその美貌は存分に発揮され、宝塚ファン以外からも多くの支持を集めていたんです。
歌が苦手だった意外な一面
ここからは、ファンとして知って驚いた遥くららさんの意外な一面をお話しします。宝塚現役当時は歌が苦手でしたって、これ知った時は本当にびっくりしました!宝塚といえば歌って当然だと思っていたので。
でも、反面芝居が上手く演技派の娘役として好評を得ていました。相手役の麻実れいさんからも「非常にナチュラルで作らない芝居をする娘役さん」と評されていたそうです。これって本当にすごいことですよね。
退団公演で再びスカーレットを演じた際は結構上手になったとの評判で、有名な声楽家の先生についてずっと練習を重ねていたというエピソードもあります。努力家で向上心の塊だった遥くららさんの姿が本当に素敵だなと思います。苦手なことでも諦めずに頑張る姿勢って、本当に見習いたいです。
麻実れいとのゴールデンコンビ時代
雪組での黄金時代
鳳蘭退団後、雪組の麻実れいとゴールデンコンビを組んで『ジャワの踊り子』『風と共に去りぬ』など、数々の名作を演じました。この二人のコンビって、本当に宝塚史に残る名コンビだったんですよ!
可憐で柔らかい雰囲気の娘役で、麻実れいさんの端正な男役と並ぶと、まるで絵画のような美しいコンビだと評判でした。私も当時の写真や映像を見ると、本当にため息が出るような美しさなんです。二人の並びは「宝塚らしいロマンの象徴」と言われていたのも納得です。
麻実れいとのデュエット曲「心に翼をつけよう」も1981年にCBSソニーからリリースされていました。歌が苦手だった遥くららさんでしたが、麻実れいさんとの息の合ったハーモニーは本当に素敵だったんでしょうね。
代表作「風と共に去りぬ」での活躍
遥くららさんといえば、やっぱり「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ役が有名ですよね。1977年5月-6月の「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラ役を演じ、この作品を最後に娘役に転向しました。実はこれ、男役として最後の作品だったんです。
この大抜擢は内部でかなり波乱を呼んだようで、当時の星組主力娘役2人が退団を発表することになりました。それほど大きな決断だったということですよね。でも稽古中は常に鳳蘭が遥くららを傍に呼んで庇うようにしたために、目立った軋轢は起きなかったそうです。
スカーレット・オハラという役に命をかけて挑んだ遥くららさんの姿勢は、本当に感動的でした。この作品が彼女の娘役としてのスタートになったと思うと、運命的な出会いだったんだなと思います。
「風と共に去りぬ」のスカーレット役は、遥くららさんの男役から娘役への転換点となった記念すべき作品でした。
演技力と娘役としての評価
演技派娘役としての才能
遥くららさんの最大の魅力は、やっぱりその演技力だったと思います。矢代静一からは「彼女の登場により、宝塚の娘役の演技が一歩前へ踏み出した」と評価されました。これって本当にすごい評価ですよね!
「舞台人として役の気持ちになりきることを常に心がけていた、だから、いつも決して嘘がなかった」と本人も語っています。この言葉からも、彼女がいかに真摯に役と向き合っていたかが分かります。私も演技を見ていて、本当に自然で心に響くものがありました。
男役経験があったからこその独特の魅力があったんでしょうね。男役に必要な佇まいも知りながら、女性らしさもある遥くららさんのオールマイティな魅力が人々を惹きつけたのだと思います。
宝塚娘役ナンバーワンとしての地位
1984年7月30日に宝塚歌劇団を退団し、「宝塚の娘役ナンバーワン」と謳われ、さよならショーが2日間にわたって行われたのは娘役として史上初でした。これって本当にすごいことですよね!娘役で2日間のさよならショーなんて、前代未聞だったんです。
2014年には宝塚歌劇団100周年の「殿堂入り100人」にも最年少で選出されました。退団から30年経っても、その功績が認められているということですよね。私もファンとして本当に誇らしいです。
遥くららの退団後、雪組は翌1985年の麻実の退団まで後任トップ娘役を特定せず空位としました。これも彼女がいかに特別な存在だったかを物語っていますよね。後任を決められないほどの存在感って、本当に伝説的だと思います。
現在の遥くららとファンからの愛され続ける理由
引退後の生活と現在の活動
遥くららさんは結婚のために芸能界を引退したと言われており、求婚相手に家庭に専念してほしいと懇願されて完全引退したとされています。結婚相手は一般の男性とのことですが、詳しい情報は公開されていません。
2024年現在の活動や私生活に関する詳しい情報は見つかりませんが、2014年に行われた宝塚歌劇団の100周年記念「時を奏でるスミレの花たち」に出演しました。久しぶりに宝塚大劇場の舞台に立った姿は、ファンにとって本当に感動的でした。
2016年1月8日のNHK「あさイチ」では、VTRで草刈正雄さんへメッセージを寄せ、現在60歳でも美しく年齢を重ね、言葉遣いがとても丁寧で柔らかいと評判でした。年を重ねても変わらない上品な魅力は、本当に素晴らしいですよね。
若い頃から現在まで愛され続ける魅力
なぜ遥くららさんが今でもこんなに愛されているのか、私なりに考えてみました。やっぱり一番は、その誠実な人柄なんじゃないでしょうか。芸名の由来も「遥」は「遥か彼方を目指す」、「くらら」はキリスト教の聖女クララやシューマンの妻クララから来ているそうで、名前からも気品を感じます。
個人的に思う遥くららが達成したもう一つの偉業は、「くらら」が娘役の定番芸名の一つになったことだそうです。これって本当にすごいことですよね!後輩の娘役さんたちにも影響を与え続けているんです。
私も宝塚ファンとして色々な方を見てきましたが、遥くららさんほど時代を超えて愛され続ける方は本当に珍しいと思います。それは若い頃の美貌だけでなく、真摯に舞台と向き合った姿勢や、人としての魅力があったからなんでしょうね。
遥くららさんは引退後も宝塚関連のイベントには時々出演し、ファンからの愛は今も変わらず続いています。
まとめ
今回、遥くららさんの若い頃について詳しく調べてみて、改めて彼女の魅力を再発見できました。男役から娘役への転向という異例の経歴、歌が苦手だったという意外な一面、でも演技力で勝負した真摯な姿勢。どれを取っても本当に素晴らしい方でした。
特に印象的だったのは、麻実れいさんとのゴールデンコンビ時代ですね。二人の美しい並びは、まさに宝塚の理想形だったと思います。そして何より、「宝塚の娘役ナンバーワン」として娘役初の2日間さよならショーを行ったという偉業は、本当にすごいことです。
現在は一般の方と結婚されて幸せに暮らしていらっしゃるようですが、時々宝塚関連のイベントに出演される姿を見ると、やっぱりファンとしては嬉しくなります。遥くららさんの魅力は時代を超えて愛され続けているんだなと、改めて感じました。皆さんも機会があれば、ぜひ若い頃の遥くららさんの映像をご覧になってみてくださいね。
