大山のぶ代さんの子供の有無は?2度の別れとドラえもんへの想いについても

2024年9月29日に90歳で逝去された大山のぶ代さん。ドラえもんの声を26年間務めた声優界のレジェンドとして、多くの方に愛され続けてきました。

そんな大山のぶ代さんについて、最近多くの方が気になっているのが「子供」についてのお話なんですよね。夫の砂川啓介さんとの間にお子さんはいらっしゃったのでしょうか?

実は、大山のぶ代さんご夫妻には深い悲しみの過去があったんです。子供を心から愛していたお二人でしたが、想像を絶する辛い体験をされていました。今回は、そんな大山のぶ代さんの子供について、詳しくお伝えしていきたいと思います。

私も母親として、この話を知った時は本当に胸が痛くなりました。でも、その辛い経験があったからこそ、大山のぶ代さんは多くの子供たちに愛される「ドラえもん」になれたのかもしれません。ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

目次

大山のぶ代さんの子供について〜2度の悲しい別れ

32歳での初回妊娠と7か月での死産

大山のぶ代さんと砂川啓介さんご夫妻は、結婚後すぐに子供を授かりました。1965年、大山さんが32歳の時のことです。子供好きだった砂川さんは、妊娠の報告を受けて世界中に叫びたいほど喜んだそうです。

しかし、妊娠7か月を迎えた頃、突然大山さんが破水してしまいました。慌てて夜間の病院に駆け込んだものの、受付で30分も待たされてしまったのです。医師からは「残念です。あと30分早かったら、なんとかなっていたんですが」と告げられました。

第一子は男の子でしたが、死産という悲しい結果となってしまいました。子供を心から望んでいたご夫妻にとって、この出来事は人生最大の悲劇となったのです。

38歳での第二子誕生と3か月後の別れ

第一子を亡くした後、大山さんご夫妻は再び子供を授かることができました。38歳の時のことです。今度こそ元気な子を産みたいと、大山さんは用心に用心を重ねて慎重に過ごしました。

しかし運命は残酷で、またしても妊娠7か月で急に出産となってしまいました。今度は女の子で、絵梨加ちゃんと名前も付けられていました。未熟児として生まれた絵梨加ちゃんは、専用の病院に転院し、3か月間の懸命な治療が続きました。

でも先天性の心臓と肺の疾患のため、生後3か月で天国へ旅立ってしまったのです。短い間でしたが確かに存在した娘さんとの別れは、ご夫妻にとって想像を絶する悲しみでした。

その後の夫婦関係と妊娠恐怖症

2度の子供との死別を経験した後、大山のぶ代さんは妊娠恐怖症になってしまいました。お腹に宿した二つの命を失った心の傷は深く、セックスを怖がるようになったと砂川さんが後に明かしています。

そのため、娘の絵梨加ちゃんを亡くして以来、ご夫妻は寝室を別にし、いわゆる夫婦生活がまったく存在しなくなりました。医師からは次の妊娠は母体が危険だとも告げられており、それ以降お二人が子供を設けることはありませんでした。

きっとこれ以上同じような思いをしたくないという気持ちが強かったのでしょうね。私も同じ女性として、その気持ちが痛いほどわかります。

大山のぶ代さんと砂川啓介さんの家族構成

大山のぶ代さんと砂川啓介さんの家族構成

夫・砂川啓介さんとの馴れ初め

大山のぶ代さんと砂川啓介さんが出会ったのは、1963年8月の舞台「孫悟空」での共演がきっかけでした。砂川さんは当時、NHKの「おかあさんといっしょ」で初代体操のお兄さんとして活躍しており、驚異的な人気を誇っていました。

面白いことに、大山さんは最初砂川さんのことを「蕎麦屋の出前のお兄さん」だと思っていたそうです。しかも小柄で筋肉質な体型から「オカマ」だと勘違いしていたというエピソードもあります。

運命の赤い糸で結ばれた瞬間は、買い物の帰り道でのことでした。チンピラに絡まれている少年二人を助けるため、二人で協力したことがきっかけで急速に距離が縮まり、1964年に結婚されました。

おしどり夫婦として知られた二人

結婚後、大山のぶ代さんと砂川啓介さんはおしどり夫婦として有名でした。亭主関白だった砂川さんを立て、大山さんはいつも一歩引いた控えめな奥さんだったそうです。

夫婦そろってテレビに出演することも多く、共著「啓介・のぶ代のおもしろ惣菜」「啓介・のぶ代のおもしろ酒肴」などはいずれも大ヒットしました。仲が良いからこそできる仕事もたくさんあったんですね。

2015年に大山さんの認知症が公表された後も、砂川さんの献身的な介護が続きました。結婚から半世紀経った晩年になって、毎晩ギュッと夫婦で抱きしめ合うようになったというエピソードも残されています。

ドラえもんとしての母性〜日本中の子供たちへの愛

ドラえもんとしての母性〜日本中の子供たちへの愛

自分の子供は持てなかったけれど

大山のぶ代さんは後年、このような言葉を残されています。「私は二十六年間もドラえもんをやったおかげで、自分の子どもは一人も持てなかったけど、日本中に子どもがいます」。この言葉には、深い愛情と母性が込められているんですよね。

どこへ行っても「ドラえもんのお姉ちゃん」と言ってもらえることが、大山さんにとって大きな支えになっていました。子供たちから「ドラえもんのおばちゃんへ」というお手紙もたくさん届いていたそうです。

自分の子どもを産めなかったけど、これだけの数の子どもが日本中にいると思うと、とても元気になるとおっしゃっていました。本当に素敵な考え方ですよね。

子供への想いがドラえもんに込められて

大山のぶ代さんが26年間にわたってドラえもんの声を担当できたのは、きっとご自身の子供への深い愛情があったからだと思います。2度の子供との別れという辛い経験をされたからこそ、子供たちに対する愛情がより一層深くなったのかもしれません。

ドラえもんという優しくて頼りになるキャラクターに、大山さんの母性が込められていたんですね。私も子供の頃、ドラえもんの声にどこか安心感を覚えていたのは、そんな大山さんの愛情を感じ取っていたからかもしれません。

実際の子供は授からなかったけれど、ドラえもんを通じて多くの子供たちの心に愛を届け続けた大山のぶ代さん。その功績は永遠に語り継がれていくことでしょう。

まとめ〜大山のぶ代さんの子供への愛情

まとめ〜大山のぶ代さんの子供への愛情

悲しい過去を乗り越えて

大山のぶ代さんご夫妻の子供についてお伝えしてきましたが、本当に心が痛くなるお話でした。32歳で第一子を死産で失い、38歳で授かった第二子の絵梨加ちゃんも生後3か月で天国へ。2度の別れは想像を絶する辛さだったでしょう。

その後、大山さんは妊娠恐怖症となり、医師からも次の妊娠は危険だと告げられました。実の子供を持つことは叶いませんでしたが、お二人の絆は決して途切れることはありませんでした。

辛い体験があったからこそ、より深い愛情でドラえもんを演じ続けた大山のぶ代さん。その優しい声は、多くの子供たちの心に愛を届け続けました。

永遠に語り継がれる愛情

大山のぶ代さんは「自分の子どもは一人も持てなかったけど、日本中に子どもがいます」とおっしゃっていました。この言葉には、母親としての深い愛情と、ドラえもんとして多くの子供たちに愛を届けた誇りが込められていますよね。

私たちファンにとって、大山のぶ代さんの声は永遠の宝物です。2度の子供との別れという悲しい経験を乗り越え、それでも子供たちへの愛情を注ぎ続けた姿勢には、本当に頭が下がります。

2024年9月29日に逝去された大山のぶ代さんですが、ドラえもんを通じて伝えた愛情は、これからも多くの子供たちの心に生き続けることでしょう。大山のぶ代さんの子供への愛は、永遠に受け継がれていくと信じています。

まとめ

今回は、大山のぶ代さんの子供についてお伝えしてきました。多くの方が気になっていたこの話題ですが、実際には深い悲しみの過去があったんですね。

32歳で第一子を死産で失い、38歳で授かった絵梨加ちゃんも生後3か月で天国へ旅立ってしまいました。2度の別れを経験したご夫妻の心の傷は想像を絶するものだったでしょう。その後、大山さんは妊娠恐怖症となり、実の子供を持つことは叶いませんでした。

でも、大山のぶ代さんは素晴らしい言葉を残されています。「自分の子どもは一人も持てなかったけど、日本中に子どもがいます」。ドラえもんを通じて、多くの子供たちに母親のような愛情を注ぎ続けてくださいました。きっと辛い体験があったからこそ、より深い愛情で子供たちと向き合えたのかもしれませんね。大山のぶ代さんの愛情は、これからも永遠に受け継がれていくことでしょう。

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