張本勲さんの全盛期について知りたい方、多いですよね!私も昔から野球を見ていて、張本さんの「喝!」は毎週楽しみにしていました。でも実は、現役時代の張本さんがどれだけすごい選手だったか、詳しく知らない方も多いのではないでしょうか。
実際に調べてみたら、張本さんの全盛期の成績は本当に驚くべきものでした。特に1967年から1970年にかけての4年連続首位打者時代は、まさに日本野球史に残る偉業だったんです。中でも1970年に記録した打率.383は、当時の日本記録を更新する驚異的な数字でした。
現在の野球ファンの方も、昔の野球を知らない若い方も、張本さんがなぜ野球界のレジェンドと呼ばれるのか、その理由が全盛期の成績を見れば納得していただけると思います。今日は張本勲さんの全盛期について、詳しくお話ししていきますね。
張本勲の全盛期は1967年から1970年の4年連続首位打者時代
1970年の打率.383は16年間日本記録だった
張本勲さんの全盛期の象徴といえば、やはり1970年に記録した打率.383でしょう。この数字がどれだけすごいかというと、当時大下弘さんが持っていたシーズン最高打率の記録を3毛も更新したんです。つまり、日本新記録だったんですね。
しかも、この記録は1986年にランディ・バースさんが更新するまで、なんと16年間も日本記録として君臨していました。現在の野球ファンの方にとって、打率.383がどれだけ異次元の数字かは想像できますよね。現代野球で3割5分を打てば首位打者争いに絡める時代に、.383ですから。
この1970年シーズンの張本さんは打率だけでなく、34本塁打、100打点という素晴らしい成績も残しているんです。まさに3割30本100打点を達成した、完璧なシーズンでした。私は野球を長く見てきましたが、これほど完成度の高い打者はそうそういませんよ。
4年連続首位打者の偉業とその内容
張本さんの全盛期で特筆すべきは、1967年から1970年にかけて達成した4年連続首位打者という偉業です。これはパ・リーグに野村克也さんという強打者がいた時代だったことを考えると、さらに価値が高まります。
各年の成績を詳しく見てみましょう。1967年は打率.336で28本塁打88打点、1968年も同じく.336で24本塁打65打点、1969年は.333で20本塁打67打点、そして頂点の1970年が.383で34本塁打100打点でした。毎年安定して3割3分以上を維持していたんですね。
特に印象的なのは、年によってパワーと巧打のバランスを変えながらも、常に最高レベルの打率を保っていた点です。これは本物の天才打者の証だと思います。野球経験のある方なら、このレベルの安定感がいかに難しいかご理解いただけるでしょう。
野村克也との激しいタイトル争いの時代背景
張本さんの全盛期を語る上で欠かせないのが、同時代のパ・リーグに君臨していた野村克也さんの存在です。野村さんは1961年から1968年まで8年連続で本塁打王、1962年から1967年まで6年連続で打点王を記録していました。
実は張本さんは、この期間に本塁打で3回、打点で4回野村さんに次ぐ2位になっているんです。もし野村さんがいなければ、張本さんは本塁打王2回、打点王を4回獲得していた計算になります。特に1966年は打撃3部門すべてで2位という、三冠王ならぬ「三冠2位」を記録しています。
当時のパ・リーグは野村さんを筆頭に、山内和弘さん、土井正博さん、大杉勝男さんなど強打者がひしめいていて、まさに戦国時代でした。そんな激戦区で首位打者を4年連続獲得した張本さんの凄さが、改めて分かりますよね。
スプレー打法と呼ばれた独特の打撃スタイル
張本さんの全盛期を支えたのが、「スプレー打法」と呼ばれた独特の打撃スタイルでした。バットを体の正面にやや斜めに傾けて構えると、バックスイングを一切せずにそのまま振り抜く広角打法だったんです。
右手に火傷の後遺症があったにもかかわらず、左右に打ち分ける技術は抜群でした。特に外角の球を上手に流し打つ技術は、当時の近鉄ジャック・ブルームさんから教わったコツを活かしたものだったそうです。内角打ちを極めることで、投手が外角に投げてくることを狙い打つという、まさに頭脳的な野球でした。
また、張本さんはセーフティーバントの名手でもありました。21回試して20回成功という驚異的な成功率で、1970年の日本記録達成時も最後の打席でセーフティーバントを決めているんです。ただし、マスコミから批判を受けて多用はしなかったそうですが、これも張本さんの野球に対する真摯な姿勢を表していますね。
打率以外でも光る驚異的な全盛期の数字
張本さんの全盛期は打率だけでなく、他の数字も素晴らしいものでした。特に注目すべきは盗塁と本塁打の両方で高い数字を残していたことです。1963年には33本塁打と41盗塁を記録し、これはトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)に迫る成績でした。
全盛期の張本さんは、単なる安打製造機ではなく、長打力も兼ね備えた完全な打者だったんです。二塁打は歴代7位、本塁打も歴代7位タイ、そして打点も歴代4位という記録が、その証拠です。安打を打っただけでなく、中軸として長く活躍した勝負強さも備えていました。
さらに驚くのは継続力です。東映入団1年目から20年連続で規定打席に到達し、3割を16回記録という数字は、まさに鉄人と呼ぶにふさわしいものでした。現代の選手と比べても、これだけの継続力を持った選手はそうそういませんよね。
張本の全盛期成績から見える歴史的価値
打率.350以上を3回記録したのは張本だけ
張本さんの全盛期の価値を語る上で見逃せないのが、打率.350以上を3回も記録したという事実です。1970年の.383、1972年の.358、そして巨人移籍1年目の1976年の.355と、3度も.350の壁を突破しているんです。
これがどれだけすごいかというと、後にイチローさんが4回記録するまで、張本さんだけの記録だったんです。しかも、張本さんはセ・パ両リーグで.350以上を記録した唯一の選手なんですよ。リーグが変わり、対戦する投手が変わっても、コンスタントに安打を打ち続けたその適応力は本当に驚異的です。
1976年は江藤慎一さんに続く両リーグ首位打者のチャンスでしたが、中日の谷沢健一さんに史上最少の.00006差(6糸差)で惜しくも敗れました。でも、この僅差での敗戦も、逆に張本さんの凄さを物語るエピソードだと思います。
通算トリプルスリーを達成した唯一のNPB選手
張本さんの全盛期を支えた能力の高さは、通算成績を見ても明らかです。通算打率.319、504本塁打、319盗塁という数字は、まさに「通算トリプルスリー」と呼ぶべき偉業でした。これを達成したのは、NPBでは張本さんただ一人なんです。
シーズンでのトリプルスリーは達成できませんでしたが(1963年に33本塁打41盗塁ながら打率.280で惜しくも未達成)、キャリア全体を通じて見ると、巧打、長打、俊足すべてを兼ね備えた選手だったことが分かります。これは本当に稀有な才能ですよね。
実はMLBでも、通算3割、300本塁打、300盗塁を全てクリアしたのは、あの「コンプリートプレイヤー」と呼ばれたウィリー・メイズさんただ一人だけ。張本さんはメイズさんに並ぶ世界レベルの選手だったんです。こんな選手が日本にいたなんて、本当に誇らしいですね。
現代野球から見た張本の全盛期成績の価値
現代野球の観点から張本さんの全盛期成績を見ると、その価値はさらに高まります。現在のNPBで打率3割を記録するだけでも一流打者の証ですが、張本さんは16回も3割を達成し、しかも.350以上を3回も記録しているんです。
特に印象的なのは、張本さんの時代は130試合前後のシーズンだったにもかかわらず、現在の143試合制よりも1割少ない試合数で3000本安打を達成したことです。これは単純計算でも、現代なら3300本以上の安打に相当する価値があると言えるでしょう。
また、張本さんが活躍した1960年代から1970年代は、投高打低の時代でもありました。現代のように本塁打が量産される時代ではなかったのに、通算504本塁打という数字は本当に驚異的です。現代の感覚で言えば、600本塁打に匹敵する価値があるかもしれませんね。
まとめ
張本勲さんの全盛期について詳しく見てきましたが、改めてその凄さに驚かされますね。1967年から1970年の4年連続首位打者時代、特に1970年の打率.383という日本記録は、まさに野球史に残る偉業でした。16年間も破られなかった記録というのは、それだけ次元の違う成績だったということですよね。
私が特に印象に残ったのは、張本さんが単なる安打製造機ではなく、本塁打、盗塁、打点すべてで高いレベルを維持していた点です。通算トリプルスリーを達成したのがNPBで張本さんただ一人というのは、本当に驚きです。しかも右手に火傷の後遺症がありながら、独特のスプレー打法でこれだけの成績を残したのは、並大抵の努力ではなかったと思います。
現在「喝!」でお馴染みの張本さんですが、その発言の背景には、これだけの実績に裏打ちされた自信と経験があるんですね。野球を愛するすべての人にとって、張本勲さんの全盛期の記録は永遠に色あせることのない、日本野球界の宝物だと思います。
