皆さんは20世紀を代表する彫刻家、イサム・ノグチをご存知ですか?モエレ沼公園や平和大橋など、数々の名作を残した彼ですが、実は私生活でもとても興味深い話があるんです。特に結婚相手については、知ってびっくりする方も多いのではないでしょうか。
実は私も最初に知った時は驚きました。なぜなら、イサム・ノグチの妻だったのは、あの有名な「李香蘭」として活躍した山口淑子さんだったからなんです。戦前・戦中の大スター李香蘭と、世界的な彫刻家イサム・ノグチ。この2人が結婚していたなんて、まるで映画のようなお話ですよね。
でも実際のところ、お二人の結婚生活はどのようなものだったのでしょうか。そして結婚期間も短かったようですが、いったい何があったのでしょう。今回は、そんなイサム・ノグチの妻について、詳しく調べてみました。
山口淑子さんといえば、戦争という激動の時代を生き抜いた女性として有名ですが、イサム・ノグチとの結婚時期も彼女の人生の大きな転換点だったはず。二人の出会いから結婚、そして離婚までの経緯を知ると、きっと皆さんも興味深く感じると思いますよ。
イサム・ノグチの妻は山口淑子(李香蘭)!驚きの夫婦関係とは
妻の正式名は山口淑子、芸名は李香蘭として大活躍
イサム・ノグチの妻は、「李香蘭」として知られる女優・山口淑子(やまぐち よしこ)さんでした。私、この事実を知った時は本当に驚きましたよ!だって李香蘭といえば、戦前・戦中に中国で大活躍した超有名な歌手・女優さんですからね。
山口淑子さんは1920年2月12日に中国東北部(旧満州)で生まれ、幼い頃から中国語が堪能でした。1938年に満洲映画協会から「李香蘭」の芸名でデビューし、「支那の夜」や「蘇州夜曲」などで絶大な人気を誇ったんです。特に1941年の日劇公演では、入場券を求める観客が劇場を7回り半も取り囲んだという「日劇七回り半事件」まで起きたほどの人気ぶりでした。
戦後は本名の山口淑子として女優活動を再開し、黒澤明監督の「醜聞(スキャンダル)」など話題作に出演。さらに渡米してハリウッドでも「シャーリー・ヤマグチ」の名で活躍していました。そんな国際的なスターと結婚したイサム・ノグチも、やはりただ者ではありませんよね。
1951年に結婚、鎌倉の北大路魯山人邸で新婚生活
イサム・ノグチと山口淑子さんは1951年に結婚しました。二人の出会いはニューヨークで、当時山口さんがハリウッドやブロードウェイで活躍していた時期だったそうです。お互い東西の文化に引き裂かれたアイデンティティを持つ者同士、深い共感で結ばれたのかもしれませんね。
結婚後の住まいは、鎌倉にある陶芸家・北大路魯山人の邸宅敷地内にアトリエ兼住まいを構えたそうです。これがまた素敵なお話で、気難しいことで知られた魯山人が、ノグチと山口淑子夫妻のために住まいを提供し、作陶用の貴重な土まで惜しみなく与えたというんです。きっと二人の才能と人柄に魅力を感じていたんでしょうね。
私も鎌倉は何度か訪れたことがありますが、あの美しい環境でアーティスト夫婦が暮らしていたなんて、想像するだけでロマンチックです。イサム・ノグチはこの時期に陶芸にも本格的に取り組んでいたそうで、きっと創作意欲も高まっていたことでしょう。
わずか5年足らずで離婚、1955年に別れの決断
しかし、この理想的にも見えた結婚生活は長くは続きませんでした。二人は1955年(一部資料では1956年)に離婚してしまったんです。結婚から足掛け5年足らずでの別れということになりますね。
離婚の具体的な理由については詳しく公表されていませんが、お互い強烈な個性を持つアーティスト同士だったからこそ、すれ違いも多かったのかもしれません。山口淑子さんは後に「すれ違いの末に離婚」と表現していたそうです。私も夫と時々ケンカしますが、アーティスト同士だとお互いの創作活動への理解や時間の使い方など、一般の夫婦とは違った難しさがありそうですよね。
離婚後も二人は終生友人として交流を続けたそうで、これは本当に素晴らしいことだと思います。きっと深い部分でお互いを理解し、尊敬し合っていたからこそできたことなんでしょうね。
二人の馴れ初めと結婚当時のエピソード
ニューヨークで運命的な出会い
イサム・ノグチと山口淑子さんの出会いは、1950年頃のニューヨークでした。当時、山口さんはアクターズ・スタジオで演技を学び、ハリウッド映画やブロードウェイのミュージカルで活躍していた時期です。「キスの勉強にやって参りました」と渡米理由を語るなど、チャーミングな一面もあったそうですよ。
ノグチから「満州でデビューしたキミは、日本軍部の宣伝に使われたわけだね」と言われ、最初はグサリと刺された思いがあったそうです。でも、その率直さが逆に心に響いたんだとか。お互い「帰るふるさとを失った者同士」という共通の境遇が、深い絆を生んだのかもしれませんね。
私も国際結婚の友人がいますが、文化的なアイデンティティの問題って本当に複雑で深いものがあります。イサム・ノグチは日系アメリカ人、山口淑子さんは中国で育った日本人。お互いの複雑な立場を理解し合えたからこそ、惹かれ合ったのでしょう。
魯山人の厚意で始まった鎌倉生活
結婚後の新居については、本当に素敵なエピソードがあります。あの気難しいことで有名な北大路魯山人が、二人のために住まいを提供してくれたんです。魯山人といえば、並々ならぬ美意識を持つ陶芸家として知られていますが、イサム・ノグチの芸術性を高く評価していたんでしょうね。
魯山人は二人に住まいだけでなく、作陶用の貴重な土まで惜しむことなく与えたそうです。これって本当にすごいことだと思いませんか?陶芸をやる方なら分かると思いますが、良い土というのは陶芸家にとって宝物のようなもの。それを気前よく分けてくれるなんて、よほど二人のことを気に入っていたんでしょうね。
鎌倉の美しい環境で、世界的な彫刻家と国際的な女優が暮らしていた…想像するだけで映画のワンシーンのようですよね。きっと当時の鎌倉の文化人たちも注目していたことでしょう。
離婚後の山口淑子とその後の結婚
1958年に外交官・大鷹弘と再婚
イサム・ノグチとの離婚後、山口淑子さんは1958年に外交官の大鷹弘(おおたか ひろし)さんと再婚されました。この二度目の結婚も、なかなかドラマチックな出会いだったんです。離婚直後、山口さんがニューヨークでミュージカルの主役を演じていた時のことでした。
国連の日本代表団からの食事の誘いを多忙で断った山口さんに、代わりに花束が贈られ、それを届けたのが大鷹弘さんだったそうです。当時彼は国連大使の秘書官補佐として勤務中でした。なんだか少女漫画のような出会いですよね!
大鷹さんは山口さんより8歳年下の28歳。年上の女性との交際ということで、外務省側もスキャンダルを恐れて大鷹さんを突然ビルマ(現ミャンマー)に転勤させたそうです。でも二人の愛は本物で、周囲の反対を押し切って結婚に至ったんですね。
女優引退から政治家への転身
大鷹弘さんとの結婚を機に、山口淑子さんは女優業を引退されました。外交官の妻として海外で暮らすことになったからです。でも、これで終わりではありませんでした。49歳で帰国後、今度はワイドショー「3時のあなた」の司会として芸能界に復帰したんです。
そして1974年、なんと参議院議員に初当選!田中角栄総理の要請で自由民主党から立候補したそうです。1992年の引退まで3期18年間、政治家として活躍されました。歌手・女優から政治家への転身なんて、本当にすごいバイタリティですよね。
私なんて一つの仕事を続けるのも大変なのに、山口淑子さんは人生で何度も大きなキャリアチェンジをされている。その行動力と適応力には本当に頭が下がります。きっとイサム・ノグチとの結婚経験も、彼女の人生観に大きな影響を与えたのでしょうね。
イサム・ノグチの人物像と芸術家としての評価
日系アメリカ人として生きた複雑なアイデンティティ
ここで改めて、イサム・ノグチという人物について振り返ってみたいと思います。1904年にロサンゼルスで生まれた彼は、日本人詩人の野口米次郎とアメリカ人作家レオニー・ギルモアの間に生まれました。3歳で来日し、茅ヶ崎で少年時代を過ごした後、再び渡米するという複雑な生い立ちを持っています。
東西に引き裂かれたアイデンティティに苦しみながらも、独自の芸術世界を築き上げた20世紀を代表するアーティストです。彫刻家として有名ですが、実際には造園家、インテリアデザイナー、舞台芸術家など、本当に多才な方でした。私たちが普段目にする「あかり」シリーズの照明も、彼のデザインなんですよ。
戦時中は日系人ということで収容所に入れられるなど、差別も経験されています。そんな複雑な境遇だからこそ、同じく複雑なアイデンティティを持つ山口淑子さんと深く理解し合えたのかもしれませんね。
世界に残る数々の名作と遺産
イサム・ノグチの作品は、今でも世界中で愛され続けています。札幌のモエレ沼公園は彼の遺作として特に有名ですが、他にも広島の平和大橋・西平和大橋のデザインなど、私たちの身近にある作品も多いんです。
特に提灯からインスピレーションを得た「あかり」シリーズは、現在でも製造・販売されていて、多くの人に愛用されています。繊細でありながら大胆、伝統的でありながらモダンという独自の作品世界は、東西の文化を融合させた彼ならではのものでしょう。
1987年にはレーガン大統領からアメリカ国民芸術勲章を、1988年には日本政府から勲三等瑞宝章を授与されるなど、日米両国でその功績が認められました。山口淑子さんとの結婚期間は短かったものの、彼の人生にとって重要な時期だったに違いありません。
まとめ
イサム・ノグチの妻について調べてみて、改めて驚かされるエピソードばかりでした。「李香蘭」として知られる山口淑子さんとの結婚は、まさに20世紀の国際的なビッグカップルだったと言えるでしょう。1951年の結婚から1955年の離婚まで、わずか4年ほどの短い結婚生活でしたが、お互いにとって人生の重要な時期だったことは間違いありません。
二人の共通点は、東西の文化に引き裂かれたアイデンティティを持っていたこと。イサム・ノグチは日系アメリカ人として、山口淑子さんは中国で育った日本人として、それぞれが複雑な境遇を生き抜いてきました。だからこそ深く理解し合えたのでしょうし、同時にお互いの強烈な個性がぶつかり合う部分もあったのかもしれませんね。離婚後も終生友人として交流を続けたというのが、二人の関係の深さを物語っています。
山口淑子さんはその後外交官の大鷹弘さんと再婚し、政治家としても活躍されました。一方のイサム・ノグチは芸術家として数々の名作を世に送り出し、今でも多くの人に愛され続けています。短い結婚期間でしたが、きっとお互いの人生に大きな影響を与え合った、特別な関係だったのでしょう。歴史に名を残す二人の物語として、これからも語り継がれていくことでしょうね。