幕末の英雄として知られるジョン万次郎の子孫が、現在も活躍されているってご存じでしたか?実は名古屋にジョン万次郎の直系5代目の子孫がお住まいになっているんです!
先日、あるイベントでジョン万次郎の子孫の方についてのお話を聞いて、私もすごく興味深くて。漂流から約180年経った今でも、アメリカとの国際交流を続けていらっしゃるなんて、本当に素晴らしいですよね。
今回は、ジョン万次郎の子孫の現在について、詳しく調べてみました。名古屋に住む直系5代目の方の活動や、中浜家の家系図、そしてアメリカとの現在も続く深い絆について、みなさんにお伝えしたいと思います。
歴史上の人物の血筋が現代まで受け継がれているって、考えただけでワクワクしませんか?きっと読んでいただければ、ジョン万次郎の偉大さを改めて感じていただけると思います。
ジョン万次郎の子孫は現在名古屋で活躍中
直系5代目・中浜京さんが名古屋に在住
ジョン万次郎の子孫で現在最も注目されているのが、直系5代目にあたる中浜京(なかはま きょう)さんです。現在58歳の中浜さんは、名古屋市天白区にお住まいで、富士通Japan東海支社にお勤めされているんです。
中浜さんは東京生まれですが、2歳の時に名古屋に引っ越してこられて以降、ずっと名古屋で育たれました。1982年に金城学院短期大学部国文科を卒業後、富士通株式会社に入社され、その後アメリカ留学も経験されています。1992年にはオレゴン州レインコミュニティーカレッジを卒業されており、まさにジョン万次郎の国際的な精神を受け継いでいらっしゃるのが分かりますよね。
私も名古屋在住なので、こんな身近なところにジョン万次郎の子孫の方がいらっしゃるなんて本当に驚きました。しかも普通にお勤めをされながら、祖先の功績を世界に伝える活動もされているなんて、本当に尊敬してしまいます。
名古屋まつりでの活動と地域貢献
中浜さんは2022年に第68回名古屋まつりの郷土英傑行列に、豊臣秀吉の母「大政所」役で参加されました。これがきっかけで、名古屋の人々にジョン万次郎の子孫が名古屋にいることが広く知られるようになったんです。
実はこの参加のきっかけとなったのは、5年ほど前に名古屋市中区で開催されたジョン万次郎に関する講演会でした。その講演会に、大政所の選出に携わる日置達郎さんが参加され、直後に中浜さんに英傑行列への参加を打診されたそうです。
日置さんは「秀吉を支えた大政所の姿は、漂流の苦労に立ち向かいながら日米の架け橋として活躍したジョン万次郎に通じるものがある」とおっしゃっています。名古屋という土地で、ジョン万次郎の精神が現代に生きているのを感じますよね。
国内外での講演活動と交流事業
中浜京さんは現在、「土佐ジョン万会」の名誉顧問として、また「財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター」の評議員として活動されています。国内外でジョン万次郎に関する講演会や交流会に参加し、祖先の業績を伝える活動を続けていらっしゃるんです。
特に印象的なのは、2009年にニューヨーク日本商工会議所より日米特別功労賞を受賞されていることです。これはジョン万次郎の功績を現代に伝える活動が、正式に評価された証拠ですよね。また、『ジョン万次郎―日米両国の友好の原点』という著書も執筆されており、祖先の遺志を文字として後世に残す活動もされています。
最近では2024年7月に、名古屋の自宅にホイットフィールド船長の子孫やペリーの子孫を招く予定があったそうです。日米友好の礎となった3家が名古屋に集まるなんて、本当に歴史的な出来事ですよね!
ジョン万次郎の子孫の家系図
中浜家の家系図と代々の活躍
ジョン万次郎の家系を辿ってみると、代々様々な分野で活躍されている方々がいらっしゃいます。まず初代のジョン万次郎は、妻・鉄さんとの間に長男の中浜東一郎さんをはじめ、数人のお子さんをもうけました。
2代目の東一郎さんは医師・医学者として活躍され、内務省東京衛生試験所所長や初代東京市医師会長を務められました。明治期には恩人のホイットフィールド家と文通を交わすなど、早くから日米交流の橋渡し役を果たしていらっしゃったんです。
3代目の孫世代では、歌人の中浜絲子さんが目立ちます。彼女は与謝野晶子の同人誌『明星』で「白藤の君」として知られ、文学の世界で祖先の精神を表現されました。医学だけでなく文学の分野でも才能を発揮されているのが、中浜家の特徴なんですね。
4代目・中浜博さんの研究活動
4代目の曾孫にあたる中浜博さん(1928-2008)は、中浜家の歴史で特に重要な人物でした。元聖霊病院(名古屋)の院長を務められながら、ジョン万次郎研究の第一人者として知られ、数々の資料を収集・出版されました。
博さんは東京都出身でしたが、1996年に名古屋に移住されたんです。名古屋大学医学部を卒業後、心臓外科治療の研究のためスペインに赴き、マドリッド大学大学院を修了するなど、国際的な活動をされていました。まさにジョン万次郎の国際的な精神を受け継いでいらっしゃったんですね。
博さんが著した『私のジョン万次郎 子孫が明かす漂流150年目の真実』などの著作により、中浜家に代々伝わる秘話や日米交流の記録が後世に残されました。博さんの研究がなければ、現在の中浜京さんの活動もなかったかもしれませんね。
ホイットフィールド家との180年超の絆
ジョン万次郎とアメリカとの関係で最も感動的なのは、万次郎を救ったウィリアム・ホイットフィールド船長の家系との180年以上続く交流です。1841年に土佐の漁師少年だった万次郎が鳥島で救助されたのが始まりでした。
船長は万次郎を差別することなく養子同然に育て、航海術・英語・数学を教えました。この出会いが万次郎の運命を変え、日米交流の原点となったんです。明治期には万次郎の長男・東一郎が船長家と文通を交わし、1940年には太平洋戦争直前にもかかわらず、ホイットフィールド家が「平和の使節」として来日し、中浜家と会談を行いました。
戦争中も両家の絆は途切れることなく、戦後復興期には交流が再開されています。180年という長きにわたって続く国際交流って、本当に奇跡的ですよね。私も友人と1年続けるのも大変なのに(笑)。
ルーズベルト大統領との意外な関係
さらに驚くべきことに、ジョン万次郎の家系はアメリカの歴史とも深く関わっています。1933年の夏、万次郎の長男・東一郎の元に、なんとアメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトから手紙が届いたんです!
実は、ルーズベルトの祖父・ワレン・デラノは、万次郎を救助したホイットフィールド船長の親友であり、捕鯨船ジョン・ホーランド号の共同船主でもありました。少年時代のルーズベルトは祖父から万次郎の話をよく聞いており、万次郎は大きな憧れだったそうです。
手紙には、ホイットフィールド船長が万次郎をマサチューセッツ州のフェアヘーブンに連れて帰り教育を受けさせたことや、デラノ一家が万次郎を教会に連れて行ったことなどが書かれていました。アメリカ大統領が日本の一漁師を憧れの人として見ていたなんて、本当にすごいお話ですよね!
まとめ
ジョン万次郎の子孫が現在名古屋にいらっしゃるというのは、本当に興味深い事実でしたね。直系5代目の中浜京さんが名古屋で活動されていることで、幕末の偉人の血筋が現代まで脈々と受け継がれていることを改めて感じました。
特に印象的だったのは、180年以上も続くアメリカとの交流です。ジョン万次郎を救ったホイットフィールド船長の家系との絆、さらにはルーズベルト大統領との意外な関係まで。一人の漁師少年が起点となって、これほど長く深い国際交流が続いているなんて、本当に奇跡的だと思います。
中浜家の家系図を見ても、代々医学や文学、そして国際交流の分野で活躍されている方々ばかり。きっとジョン万次郎の好奇心旺盛で国際的な精神が、子孫の皆さんにも受け継がれているんでしょうね。現在の中浜京さんも、お仕事をされながら祖先の功績を世界に伝える活動を続けていらっしゃるのは本当に素晴らしいことです。私たちも見習いたいですね。
