元厚生労働事務次官として知られる村木厚子さん。2009年の郵便不正事件での冤罪騒動から無罪確定、そして復職後の活躍まで、常に話題の中心にいる彼女の私生活について気になる方も多いのではないでしょうか。
特に注目されているのが、村木さんの夫について。同じ官僚として働きながら、二人の娘を育て上げた夫婦として、どのような方なのか興味深いですよね。私も最初は「きっと東大出身の優秀な官僚なんだろうな」と思っていたのですが、調べてみると想像以上に素晴らしい経歴をお持ちの方でした。
実は村木さんの夫・太郎さんも労働省出身の官僚で、妻と同期という珍しいカップル。40年以上前から男女平等な家事分担を実践してきた、まさに時代を先取りした夫婦だったんです。今回は、あまり知られていない村木さんの夫の職業や経歴、そして二人の結婚生活について詳しくご紹介していきます。
「夫婦で官僚って大変そう…」「子育てと仕事の両立はどうしてたの?」そんな疑問にもお答えしていきますよ。
村木厚子の夫・村木太郎の職業と経歴
同期入省の労働・厚生労働官僚として活躍
村木厚子さんの夫は、村木太郎さんという方です。実は太郎さんも村木さんと同じく官僚で、なんと1978年に労働省に同期入省した同僚だったんです。
太郎さんは1954年生まれで北海道出身。北海道札幌南高等学校を卒業後、京都大学大学院工学研究科修士課程を修了するという、これまた優秀な経歴をお持ちです。村木さんが高知大学出身なのに対し、太郎さんは京都大学という、まさに文字通り「良いとこ取り」のカップルですよね。
太郎さんの官僚としてのキャリアも素晴らしく、財務省大臣官房政策評価審議官、東京労働局長、厚生労働省大臣官房総括審議官(国際担当)、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構理事長代理などの要職を歴任しています。2013年に退職するまで、35年間にわたって日本の労働行政に携わってきました。
週休二日制普及に夫婦で取り組んだ実績
特に注目すべきなのが、村木夫妻が共に取り組んだ働き方改革の先駆的な活動です。太郎さんは妻の厚子さんと共に、週休二日制の普及や年次有給休暇の取得促進に携わっていました。
これって今でこそ当たり前の制度ですが、40年以上前からこうした取り組みを夫婦で進めていたというのは、本当に先見の明があったと思います。私たちが今、土日休みを享受できているのも、こうした方々の努力があったからなんですよね。
現在太郎さんは、全国シルバー人材センター事業協会専務理事、大正大学地域構想研究所教授、ダイバーシティ就労研究プラットフォーム企画委員会委員長などの職に就いています。退職後も高齢者の就労支援や地域活性化に取り組む、まさに社会貢献の人生を歩んでいらっしゃいます。
若草プロジェクトでも理事として活動
また、2016年4月に村木厚子さんが弁護士の大谷恭子さんと共に立ち上げた「一般社団法人若草プロジェクト」では、太郎さんも理事として参加しています。この団体は、困難な状況にある女性や少女を支援する活動を行っており、夫婦で社会問題に取り組む姿勢が見て取れます。
私が感心するのは、定年退職後も夫婦で社会貢献活動を続けている点です。多くの人が「お疲れさまでした」と引退する年齢になっても、まだまだ日本のために働き続ける意欲と体力。本当に頭が下がります。
太郎さんの職業について調べていて分かったのは、単に「村木厚子さんの夫」ではなく、独自の専門性と実績を持った一人の官僚として、日本の労働政策に大きな足跡を残してきた方だということ。夫婦でこれだけの成果を上げるって、相当な努力と信頼関係があったからこそですよね。
村木厚子の結婚生活と家事分担
26歳で同期の「親友」と結婚
村木厚子さんは26歳の時に結婚されました。結婚相手である太郎さんとは労働省時代の同期で、毎週のように飲み会や勉強会をする仲の良いグループの一員だったそうです。
村木さん自身が語っているところによると、太郎さんは「話しやすく、難しい相談ごとも冷静に判断してくれる信頼できる親友だった」とのこと。結婚について村木さんは「結婚は最高の茶飲み友達の予約方法」と表現していて、なんともほのぼのした関係性が伝わってきます。
結婚を決意した理由の一つに、お父様から言われた「自分のためにだけ生きても褒めてやれない」という言葉があったそうです。自立した女性として生きていくことを目指していた村木さんですが、誰かと人生を共にすることの意味を改めて考えるきっかけになったのかもしれませんね。
40年前から実践していた男女平等な家事分担
驚くべきは、村木夫妻が40年以上前から男女平等な家事分担を実践していたことです。これって、今でこそ「イクメン」とか言われていますが、当時としては本当に先進的だったはず。
太郎さんは共働きの生活について「たくさんの苦労でたくさんの幸せだろう」と表現されています。なんて素敵な言葉でしょうか。苦労も含めて幸せと捉える、この価値観があったからこそ、長年にわたって仕事と家庭を両立できたんでしょうね。
実際、村木さんが逮捕された際のエピソードが印象的です。弁護士から「お手伝いさんを雇いますか?」と聞かれた太郎さんは、最初その意味が分からなかったそう。「大丈夫です。今までと何も変わりませんから」と答えたというのですから、普段からいかに家事を分担していたかが分かりますよね。
冤罪事件を支えた夫婦の絆
村木さんが2009年に郵便不正事件で逮捕された際、太郎さんの支えは計り知れないものがありました。逮捕当日、太郎さんはスイスに出張中でしたが、村木さんは検事の目を盗んで「たいほ」とメールを送ったそうです。
この時の村木さんの気持ちを想像すると胸が痛みます。まず心配したのは二人の娘のこと。「娘が母親の逮捕をニュースで知ることだけは避けたかった」という母親としての思いが、とっさの判断につながったんですね。
保釈後の記者会見では、弁護士の弘中惇一郎さんと共に太郎さんも同席し、妻の無実を強く主張しました。164日間の勾留という辛い期間を、家族全員で乗り越えた強い絆を感じます。夫として、父親として、太郎さんの存在がどれほど心強かったか、想像に難くありません。
二人の娘を育てながらキャリアを積んだ両親
村木夫妻には二人の娘さんがいらっしゃいます。村木さんが29歳の時、1984年頃に長女が生まれ、その数年後に次女が誕生しました。現在、長女は40歳前後、次女は30代前半くらいと推測されます。
当時の村木さんは産休を6週間で切り上げて職場復帰するなど、今では考えられないほどハードなワーキングマザー生活を送っていました。でも、周りの先輩たちから見ても「村木家は悲惨なケース」と言われるほど、両親のサポートが得られない環境だったそうです。
「夫婦2人だけでやってきた珍しいケースは、後輩にとってもいいモデルケース」と言われていたように、まさに現代の共働き家庭の先駆者的存在だったんですね。私も子育て中なので、この大変さは本当によく分かります。
逮捕時の娘たちの支え
村木さんが逮捕された2009年当時、長女は会社員として働いており、次女は高校生でした。母親が突然逮捕されるという衝撃的な出来事に直面した娘たちですが、家族一丸となって母親を支えたそうです。
特に印象深いのが次女のエピソード。夏休み期間中、予備校の夏期講習を大阪校で受講するよう手配し、毎朝面会に来てくれたといいます。高校生の娘が母親のためにそこまでするって、どれだけ深い愛情と信頼があったかが分かりますよね。
娘たちからは「がんばれ」「お母さんは自慢の母親だ」といったメッセージが送られていたそうで、村木さん自身も「娘たちのために頑張ろう」と思ったことで最後まで諦めずに闘い抜くことができたと語っています。家族の絆の強さを感じる素晴らしいエピソードです。
現在は孫もいる幸せな家族
現在、娘さんたちは結婚されており、村木夫妻には孫もいらっしゃるそうです。一般人として暮らしている娘さんたちの詳しい情報は公開されていませんが、両親の背中を見て育った子どもたちですから、きっと立派に成長されていることでしょう。
村木さんが津田塾大学で講演した際にも、家族の大切さについて語られています。「誰かのために頑張らなきゃ、という気持ちが最も人を強くする」という言葉通り、娘たちの存在が村木さんの大きな支えになっているのが伝わってきます。
太郎さんと二人三脚で官僚としてのキャリアを積み重ね、二人の娘を立派に育て上げ、そして今は社会貢献活動に取り組む。なんて素晴らしい人生なんでしょうか。私も見習いたいと思える家族の在り方です。
まとめ
村木厚子さんの夫・村木太郎さんは、妻と同期入省した労働・厚生労働官僚という素晴らしいキャリアをお持ちの方でした。京都大学大学院出身で、財務省や厚生労働省の要職を歴任し、特に週休二日制の普及や働き方改革に夫婦で取り組まれてきた実績があります。
何より印象的だったのは、40年以上前から男女平等な家事分担を実践してきた先進的な夫婦だったということ。「たくさんの苦労でたくさんの幸せ」という太郎さんの言葉からは、共働きの大変さも含めて人生を楽しんでいる様子が伺えます。村木さんの冤罪事件の際も、夫として父親として家族を支えた姿は本当に感動的でした。
現在も若草プロジェクトなどで夫婦一緒に社会貢献活動を続けているお二人。二人の娘さんも立派に成長され、孫もいるという幸せな家族を築いていらっしゃいます。単なる「官僚夫婦」ではなく、互いを尊重し合い、共に社会に貢献する理想的なパートナーシップを長年にわたって築いてこられた素晴らしいご夫婦だと思います。働く女性にとって、本当に励みになる存在ですね。
