ZARDの坂井泉水さんといえば、「負けないで」や「マイ フレンド」など数々のミリオンヒットを生み出した90年代を代表する歌手ですよね。でも実は、華やかな表舞台の裏で長い間病気と闘い続けていたことをご存知でしょうか?
私も坂井さんの大ファンで、当時はテレビにあまり出演されないミステリアスな雰囲気に魅力を感じていました。でも2007年に突然の訃報が届いたときは、本当に驚きました。その時初めて、坂井さんが子宮頸がんと闘っていたことが公表されたんです。
今思えば、2000年頃から活動休止が増えていたのは、すでに病気のサインだったんですね。坂井さんの病気について調べてみると、実は子宮頸がんだけでなく、その前からいくつもの婦人病を患っていたことが分かってきました。一体何が原因だったのでしょうか?
今回は、坂井泉水さんの病気について、いつから体調を崩し始めたのか、どんな治療を受けていたのか、そして最後まで復帰を諦めなかった強い意志について、詳しくお話ししていきますね。きっと皆さんも知らなかった事実がたくさんあると思います。
坂井泉水の病気の経過〜いつから始まった闘病生活?
2000年から始まった体調不良のサイン
坂井泉水さんの病気の始まりを調べてみると、2000年頃から体調を崩すことが多くなっていたことが分かりました。実は、この年に「Get U’re Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になったんです。その縁でNHK紅白歌合戦への出場が期待されていましたが、坂井さんは「体調がすぐれないため」として出場を辞退されました。
当時はファンの間でも「なぜ?」という声が多く、私も残念に思ったのを覚えています。でも今思えば、これが坂井さんの長い闘病生活の始まりだったんですね。2001年から2002年まで、なんと1年間もの活動休止をされていました。坂井泉水さんが体調を崩し始めたのは2001年に入って少し経った頃だったそうです。
この頃の坂井さんは、表向きは「休養」ということになっていましたが、実際には複数の婦人病と闘っていました。子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症など、女性特有の病気を次々と患っていたんです。40歳を前にして、これだけの病気と向き合うのは本当に大変だったと思います。
2006年に発覚した子宮頸がんの衝撃
そして2006年4月、坂井さんに子宮頸がんが見つかります。この診断は本当に衝撃的だったでしょうね。私も友人が同じ病気になったときのことを思い出すと、どれだけ不安だったか想像できます。坂井さんは2006年6月1日に慶應義塾大学病院で病巣と子宮の摘出手術を受けられました。
39歳という年齢で子宮を全摘出するって、女性として本当につらい決断だったと思います。でも坂井さんは手術を乗り越えて、7月には一度退院されています。きっと「これで治った」と安心されたんでしょうね。私だったら、きっとそう思ったと思います。
でも残酷なことに、翌2007年4月に肺への転移が発見されてしまいます。せっかく手術が成功したと思ったのに、今度は肺に転移が見つかるなんて…。坂井さんの心境を思うと、本当に胸が痛くなります。この時点で再入院となり、抗がん剤による治療が始まりました。
壮絶な闘病生活の実態
坂井さんの闘病生活がどれほど壮絶だったか、調べているうちに衝撃的な事実が分かりました。抗がん剤治療の副作用で、なんと体重が30キロまで落ちてしまったそうです。元々43キロ前後だった坂井さんが30キロって、どれだけ苦しい治療だったか想像できますよね。
さらに医師からは「余命2ヶ月」という宣告まで受けていたそうです。まだ40歳という若さで、こんな宣告を受けるなんて…。私だったら絶望してしまいそうです。抗がん剤の副作用で髪も抜け落ちてしまい、坂井さんはとてもショックを受けていたという話もあります。
病気のステージについては公表されていませんが、肺への転移や髪が抜けるほどの抗がん剤治療を考えると、かなり進行した状態だったのかもしれません。ネット上ではステージ4だったのではないかという情報もありました。それでも坂井さんは最後まで復帰への希望を捨てなかったんです。
坂井泉水が入院していた病室での日々
慶應義塾大学病院での治療生活
坂井さんが最後に入院していたのは、東京の信濃町にある慶應義塾大学病院でした。この病院は日本でも有数の医療機関として知られていますよね。坂井さんは肺への転移が見つかった後、2007年4月からこちらで抗がん剤による治療を受けていました。
病室での坂井さんは、体調が思わしくない中でも前向きに過ごしていたそうです。ファンクラブの会報には「体調は思わしくないが、頑張っている」という言葉とともに、希望を失わない姿勢が表れていました。私もそんなメッセージを読んだら、きっと涙してしまったと思います。
病室でスタッフと打ち合わせをしたり、詞を書きためるなど再起を目指していたという話を聞くと、本当にプロ意識の高い方だったんだなと感動します。どんなにつらくても、音楽への情熱を失わなかったんですね。
復帰への強い意志と準備
実は坂井さんは、2007年の秋にアルバムの発売と3年ぶりのライブツアーを計画していました。これを知ったとき、私は本当に驚きました。あれほど厳しい治療を受けながらも、ファンのことを思ってくれていたんですね。
病室には新曲用の詞を書いたメモがあったそうです。きっと体調の良いときに、少しずつ書き溜めていたんでしょう。音楽関係者の証言では「身辺整理をしていなかった。詞を書くなど、復帰に前向きだった」という話もあります。最後の最後まで、歌手として生きることを諦めていなかったんです。
長戸大幸プロデューサーとの最後の会話では「彼女もレコーディングを楽しみにしている様子でした」と語られています。でも同時に「投薬のせいで、頭がぼうっとするとも話していました」とも。抗がん剤の副作用に苦しみながらも、音楽への情熱を失わない坂井さんの強さには、本当に頭が下がります。
坂井泉水の病気の根本的な原因とは
2000年以降に次々と発症した婦人病
坂井さんの病気を振り返ってみると、2000年以降に様々な婦人病を患っていたことが分かります。子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症、そして最終的に子宮頸がんと、女性特有の病気が次々と見つかったんです。これだけの病気が連続して起こるのは、何かしら根本的な原因があったのかもしれませんね。
一般的に、これらの婦人病はストレスや生活習慣、ホルモンバランスの乱れなどが関係していると言われています。坂井さんの場合、90年代の多忙なスケジュールや、プライベートでの様々な出来事が影響していた可能性も考えられます。
2000年以降はずっと病気と闘ってこられたということを考えると、本当に大変な7年間だったんだなと感じます。表向きは休養ということになっていても、実際には病気と向き合う日々だったんですね。
子宮頸がんの発症メカニズム
子宮頸がんは、HPV(ヒトパピローマウイルス)の感染が主な原因とされています。このウイルスは性的接触によって感染することが多く、誰でもかかる可能性がある病気なんです。坂井さんの場合も、このような一般的な経路で感染したと考えられます。
ただし、HPVに感染しても必ずがんになるわけではありません。免疫力の低下やストレス、喫煙などの要因が重なることで、がんへと進行していくと言われています。坂井さんの多忙な生活や、前述の婦人病による体力の消耗なども、がんの発症に影響していた可能性があります。
現在では子宮頸がんはワクチンで予防できる病気になっていますが、坂井さんが闘病されていた2000年代には、まだそのような選択肢はありませんでした。もし今の医療技術があれば、違った結果になっていたかもしれないと思うと、本当に悔しい気持ちになります。
坂井泉水が最後まで通った病院での治療
慶應義塾大学病院での抗がん剤治療
坂井さんが最後に治療を受けた慶應義塾大学病院は、がん治療でも有名な病院です。肺への転移が見つかった後、坂井さんはここで抗がん剤による化学療法を受けていました。抗がん剤治療って、本当につらいものですよね。私の知り合いも経験していますが、副作用との闘いが想像以上に大変だったそうです。
坂井さんも治療前には親しい仕事関係者に「私、怖いんです」と不安を打ち明けていたそうです。あんなに強く見える坂井さんでも、やっぱり怖かったんですね。人間らしい一面を感じて、より親近感を覚えます。実際に治療が始まると、髪が抜けてしまってとてもショックを受けていたとも言われています。
抗がん治療はうまくいっていたという報告もありましたが、体重が30キロまで減少していたことを考えると、かなり厳しい状況だったのは間違いありません。それでも坂井さんは治療を続けて、復帰を目指していました。
日課の散歩と体力維持への努力
入院中の坂井さんは、体力回復のために散歩を日課にしていました。これは復帰に向けた準備の一環だったそうです。抗がん剤治療で体力が落ちている中でも、少しでも体を動かそうとする姿勢に、プロとしての意識の高さを感じます。
事故が起こった2007年5月26日の早朝も、坂井さんは散歩をしていました。パジャマではなく、ちゃんと私服に着替えて外出していたそうです。きっと「早く元気になって、またみんなの前で歌いたい」という強い気持ちがあったんでしょうね。
散歩から病室に戻る途中で起きた転落事故は、前日の雨で濡れていたスロープで足を滑らせたことが原因とされています。復帰への努力を続けていた矢先の出来事だったと思うと、本当に悔やまれます。でも最後の瞬間まで、坂井さんは前向きに生きていたということが分かって、少しほっとする気持ちもあります。
まとめ
坂井泉水さんの病気について調べてみると、2000年頃から始まった長い闘病生活の実態が見えてきました。子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に婦人病を患い、最終的に子宮頸がんへと進行していく過程は、本当に壮絶なものでした。
特に印象的だったのは、どんなにつらい治療を受けていても、坂井さんが最後まで音楽への情熱を失わなかったことです。体重が30キロまで落ち、余命2ヶ月と宣告されても、病室で作詞を続け、復帰への準備を進めていた姿には、プロとしての誇りと強い意志を感じます。私たちファンにとって、こんなに嬉しいことはありませんよね。
2007年の事故は本当に残念でしたが、坂井さんが遺してくれた楽曲は今でも多くの人に愛され続けています。「負けないで」の歌詞のように、坂井さん自身が最後まで負けずに闘い続けた姿を、私たちは忘れてはいけないと思います。今でも彼女の歌声を聴くたびに、その強さと優しさに励まされる人がたくさんいることでしょう。坂井泉水さんという素晴らしいアーティストがいてくれたこと、本当に感謝しています。
